突発ダメコラム 社会の下層から

春の7日間連続大幅更新企画第1弾。
社会の最下層に棲むダメ人間が適当な感性で書く謎コラム。
基本的になんとなく思ったことをなんとなく書いているだけですが。
従って大した内容ではありません。いつものごとく。


相次ぐエースクラスの退団(06年2月16日)
最早「唯一マジメにやっていきたい」というコンセプトを無視している当コラム(笑)。サンデーから改蔵が消え、さらに引き続き我聞・道士郎も終わり、サンデーが魅力を失いつつある。そして今度、サンデーではないがチャンピオンで唯一読めていた無敵看板娘が来週で最終回を迎えます。そこで久しぶりにコラムを更新してみようかなと。我聞くんでもそれをネタにしなかったのにねぇ(笑)。マイナーだからこそ。

とにかく、なぜか俺はこの作品が好きですね。萌えるワケでもないし、ギャグだってこれよりも面白い作品は沢山ある。だから「なぜか」なんです。にも関わらず、俺はこのマンガを初めて読んだ時の状況を鮮明に覚えてるんですよ。

俺がこのマンガを初めて読んだのは晩飯を食べに行ったミヤタでたまたまチャンピオンを読んだ時。その時読んだのは第5話の「夜に頑張る人」。この時はもう何がなんだか分からなかったが、チャンピオンの中で唯一読めるという程度の認識。これが最初の出会い。その次に読んだのは第9話「泥と藁の家」。で、しばらく読んでないうちに単行本が発売され、帯に「角田絶賛」の文字。…ウソくせぇ(笑)。とか思いつつ買ってしまう。その時点で俺の負けだったな。最後に読んで以来、単行本でその他の話を読んだが、やっぱり本当に面白くなったきっかけは看板娘のライバルであるめぐみよりも、ケンカのライバルである勘九郎の存在であろう。実際、ただ美輝が暴れているだけのマンガが、勘九郎という人間が入ったことでよりハデになったし。途中で唯一の常識人でツッコミ役だった太田に戦隊モノオタクというキャラを付けたことや、適度なタイミングでの新キャラ投入もことごとく成功していたように思う。この辺りは担当編集の腕だろうか。とかくイレギュラーな存在が多く、異彩を放っていた。作品としても、第30話「こうしてあの子はサンタになった」や第100、101話の「左」「右」など、様々な趣向を取り入れていたし。ただ、作者本人の画力については向上しなかったように思う。むしろヘタになったと言えるかも。最初の頃の美輝は多少なりとも可愛さがあったような。

そしてそんな佐渡川準デビュー作・無敵看板娘も来週で最終回。今週の展開からかなりのモノが出来てくると思うので楽しみに待っていたい。

…しかしデビュー作でここまで続けばかなりのモノではないか。無論、チャンピオンという雑誌だからこそここまで続けられたっていうのもあるんだろうけど。いや、俺としてはコナンや犬夜叉より断然面白いと思ってるから(笑)。気が早いかもしれないが、次回作も楽しみに待ってます。

にほんはみをまもっている!(04年12月10日)
ちょうど半年ぶりにダメコラム。テーマは自衛隊のイラク派遣。

オイラは派遣賛成派です。まぁ、反対派が反対するのは構わんさ。憲法持ち出されりゃ(無論解釈の仕方もあるけど)反対して当然だと思うし。だけどね、自衛隊が行く事によって何が日本にもたらされるかって考えてるかなぁ?

…まぁ、なんだ。勝手な事ばかり言うんじゃねぇと。世の中「必要悪」ってのは存在すると思うんだよね。ファンタジスタとか(笑)。例えその行為が悪くても、それがないと何かが破綻するってのは日常的にあるでしょ。個人的には風俗だってその一部だと思ってるし、無論エロゲだってそうでない?商売だとかゲームだとかいう仮想の世界観の中だからできることだってあるワケで。仮想の世界にまで規制をかますんじゃねぇ!と(笑)。なきゃないで性犯罪は絶対に増加するに決まってる。

…あぁ、すっかり話が逸れたなぁ(笑)。俺が思うに、自衛隊は「国益を自衛するために派遣される」という受け取り方ができるんじゃないかと。利権は欲しい。でも自衛隊派遣は反対ってのは都合良過ぎるだろう。「戦闘が危ない」って言っても、もし日本が攻められたら自衛するために戦闘しなきゃならないワケで。その予行演習だとでも思いなさい。本来、そういう職業なんだし。本人たちも割り切ってるみたいだから、周りがどうこう言ってもしょうがないよ。

…まぁ自衛隊の派遣ってのがイラク情勢に対して最も的確な判断かどうかは別なんだけど、やっぱりイラクとか中東なくして日本が生きていけるワケないと思うんだが、その辺どう考えてますか、反対の方々?あんたらは車に乗らずに生活できますか?灯油とかなくても冬越せますか?使わなくとも生活できるんなら存分に反対するがよい。

ゲームレビュー出張版〜テイルズシリーズと藤島康介、シンフォニアにおける危惧〜(04年6月11日)
…よくよく考えてみると、シンフォニアはそこまで魅力的ではない気がする。もちろん、いのまた<藤島の構図は今でも変わっちゃいないし、現在のテイルズの評価が上がりきらない要因も5割はそこ(残りはシナリオ)にある。シンフォニアで謀る藤島への原点回帰は歓迎すべきこと

…でもね、最近は藤島キャラが戦闘シーンで動いてるのを想像しても大して凄いと思わないんだよなぁ。結局、今までだって戦闘シーンにおいてはキャラのデザインはディフォルメされてて、いのまたも藤島も関係なかった。チャットとかその辺は目に付いたけど。RPGにおいて大半の時間を占める戦闘で気にならなければ、あくまでも極論だけど問題でもないと思う。むしろ、俺個人としてはリアル藤島キャラが動くのはクセがあってダメなんかも…。例えば、テイルズシリーズの中で圧倒的一番人気(個人の勝手な推測に基づいています)アーチェだってあの頭身にディフォルメされてたからこそ(無論かないみかの声ってのもあるだろうけど)、かわいく見えたんじゃないかと思えて仕方ない。リアル藤島のアーチェがぐるぐる動いててもそんな魅力感じないんだよなぁ…。サクラ大戦とか回避してるのもそこだからね。一枚絵は好きだけど、動かれるとそのクセの強さで好きになりきれない。いや、ムービーとかも、いのまた絵全開よりは好きだけど。だからさ、ホントは戦闘シーンだけは今までと同じドット絵で表現して欲しいんだよねぇ。戦闘も藤島絵バリバリにするなら、もっと頭身を大きくするとか。…とか思うのは俺だけだろうなぁ、やっぱ。

約10ヶ月(4月15日)
豊川のユニクロの前で子供がさらわれて、海で死体で見つかったあの事件。犯人が捕まった模様。犯人と被害者間に関連性のない難しい捜査を、10ヶ月もかかったとはいえ、見事検挙したというのは大した物だと思います。警察もやる時はやるんだね。凄い。普段仕事してないのに…(爆)

この事件は占有権がないくせに仮眠場所にしていた場所で子供が泣いていて、泣き止まないから………ってな事件で、犯人の行動に情状酌量の余地はない。でも、これって本来起こらなくてもよかった事件だと思う。元を正せば、親が子供を車に置いていかなければ起こらなかった。熱さでやられないよう冷房をかけていったくらいだから、パチンコで車の中に子供を置いて、熱中症で殺すような親に比べれば幾分マシだよ。…だけどさ、それでも普通1歳の子を一人にしておくか?家の中でだって危険はある。家の外ならなおさら。野生動物だって狩りに出る時は子供を安全な場所へ置いていく。動物にできて人間にできないワケない。動物にできないことをやれるからこそ、人間は地球を闊歩してるんだから。

さっきも書いたけど、犯人に情状酌量の価値なんかこれっぽっちもない。けれども一方で親の過失責任というか、注意義務を果たしてない点もきちんとはっきりさせておくべき。犯人だけ罰して終わりってのじゃダメだと思う。…最後に、帰宅途中で聞いたラジオのニュース原稿の一部を。

親がゲームセンターで遊んでいる間に幼児が連れ去られ、殺害された事件で…………」

ペットブームにちょっと釘を刺す(2003年1月14日)
少しばかり暗い話題になってしまうけれど…。それは予想していたとはいえ、突然の訃報でした。現場でかかってきた電話で教えられました。

…え〜っと、今朝、ウチのペットのネコ(メス、11歳)がお亡くなりになりました。原因はおそらく、お産に耐えられなかったという推測。歳が歳なので、仕方なかったのかもしれません。

こういう事態が来ることはあらかじめ予想していたし、ペットが遅かれ早かれ、いつかは死ぬことも割り切ってはいたんです。そんなのは自然の法則として当然ですから。…でも、実際は割り切ってるつもりで割り切れてないんだよ、やっぱ。これまで何回も経験してきた事だけど、こればっかりはどれだけ経験を積もうが慣れるなんてことはありません。いや、慣れちゃいけないんだけど。前回は高校生の時だったけど、マジ泣きしました。あの時はイキナリ急変してイッキにだったから。今回は突然でも予想範囲内の出来事だったため、心の準備もできてて泣くほどのツラさはないんですが…。

だからこれからペットを飼おうとする人に、これだけは言っておきたい。

ペットを飼うのは自由だけど、最後の瞬間までのことをじっくり考えてください。アイフルのCMに影響されても構いませんが、最後の瞬間のことだけは決して頭から離さないでください。無論、途中放棄はもってのほか。それはペットを飼う人の義務であると思います。

予算がないってことはないだろう(10月25日)
2〜3日ほど前のニュースなのだが、名古屋の栄で交差点内駐車が日常的に行われていて危険で迷惑だというのをやっていた。それがさらに渋滞などを引き起こす模様。警察側も常時取り締まるほどに人員がないとの事で、現段階では取り締まりも厳しくできないというのだ。けれども、岐阜のほうではそれに対し、警報機を用いることで回避をすることに成功したらしい。それを愛知県警に訊ねると…。

予算が足りないので、警報機を取り付けることはできない

…という旨の答えが返ってきたらしいのです。…あれだけかっぱいでいるにも関わらず、予算がないとはこれ如何に?じゃあ、あの30万はどこへ行くんだ?少しくらい捻出できると思うのだが…。

A井課題(8月30日)
夏休みも残り僅か。今ごろ宿題に追われている子供もいるだろう。そんな事関係ない社会人なのに宿題を出される俺。ある意味永遠の少年。ちなみに課題は野球がオリンピックから除外されることについて。

最初に言っておくと、この件について正直なんの興味もありません(後述)。したがって大した情報も持たず、上辺だけの情報で書いてるのでおかしい点が多々あると思われますが、これはしかたないので我慢してください。

まず俺の結論から。ぶっちゃけ俺は構いません。除外上等野球はワールドカップでやればいいと思います。理由としては、野球がヨーロッパじゃ全くと言っていいほど浸透してないこと。オリンピックは世界一斉、どこの国からも代表が出れる。例え最弱でも国から選抜されれば出れる。そうなると大した結果も出ずに恥をかくだけの結果に終わる。だったら練習しろということになるけど、ヨーロッパが野球に興味ないならやる必要はないし、無理強い(実際ムリに出てくることはないんだけど)することもないと思う。やりたいトコだけでやればいい。地域の運動会に出たくないから出ないというのと同じ理論です(笑)。地域の運動会は出たくなくても強制参加させられますが。あれどうにかしてくれません?実際誰もやりたくないのに。なんか圧力かかってるのか、アレ?元老院(町内の古株連中共)のせいだろうな、間違いなく。

…本題復帰。まぁそういう事になればワールドカップになるでしょう。ワールドカップとオリンピックの違いはソコ。オリンピックはどこの国でも出れるけど、ワールドカップは強くないと出れないこと。いや、まぁ正確に言えば両大会とも予選とか全体で見ればどこでも出れるし、逆に出れなくもあるワケですが。ワールドカップは種目が限定されてるから、試合に対する意気込みも違えばレベルも違う(オリンピックのように競技を掛け持ったりしない)。観てて面白い試合が出るワケです。オリンピックにプロは出れない(例外あり)ので、常にプロ野球とか大リーグを観てる人にしてみればオリンピックは大して興味の出る試合ではないと思う。そういう点でオリンピック除外は構わないというのが俺の結論。

ただし、これは観る人のエゴからですよ?これからもプロとアマの垣根を作り続けるつもりならばオリンピックは必要。仮にワールドカップはプロを固めるのならば、オリンピックがなくなった時アマはどうなる?(現段階でそういう仕分けがなされてるワケではないけれど)プロ野球だけが野球ではないし、アマだってプロ以上の選手はいる(松坂なんかそうだった)。それに国際経験を積む事は必ずプラスになるハズですから。なんて言うか、今まで以上に明確な大会の定義付け及び選手の出場規定というのが必要なんじゃないかな?実際今のそういったモノ知ってる人ってあまりいないと思うんだけど…。

結局、やはり観る人とやる人(野球に関わる人)では感じ方が違います。どちらにせよ、今までやってきたことをなくすのであればそれなりの理由を持ってほしいものです。IOCの今ってどうなのよ?

…思ってませんよ?五輪監督が長嶋だからやらなくてもいいとか全く思ってませんにょ(←動揺?)。だから日本がオリンピックの野球をその程度にしか考えてないならやる必要ないし〜、とか全く考えてませんってば!…何なんですか、その疑いの眼差しは?

偽善も善(8月17日)
非常に懐かしいほどに更新のない当コラム。ていうか、前回イキオイで始めたけど本来こういうの苦手なんで二度と更新ないと思ってたくらいだから、本人(笑)

そんなワケで今年も24時間テレビの季節ですね。俺の周りでは偽善だっていう意見が多いんです。俺もその一人なんだけど。でも偽善だろうが何だろうが、それで募金が集まって助かる人がいるんならそれでもいいんじゃないかなとも思ってるけど。例え偽善でもそれで助かる人がいるならそれでいいじゃん。

…ただしその考えは2年程前に裏切られましたが。

確か当HPがスタートした時に野球談義に書いたと思いますが、中日と巨人の試合を24時間テレビ内で放送し、その際に巨人ファンの体の不自由な子を連れてきてその子のために巨人が勝って欲しいというような放送があったんです。この時点でもうこのおかしな事態に誰もが気付いたと思うんです。中日ファンにもそういう子はいるのに、その子の想いは関係なしか…と。

どちらか一方を無視するのが善意と言えるのか?それ以前に何かが間違っているだろう。当時あの放送に対してどんな反響があったのか知らないけど、中日ファンとしての巨人への敵対心を差し引いても間違ってたと思う。そしてあれ以来、俺は24時間テレビを見ることはなくなりました。そしてそれは今年も…。

体罰について考える(3月1日)
なんとなく戸塚ヨットスクール事件判決で考えてみた。
俺は基本的に体罰は必要だと思ってます。でも、この事件ではそれ(体罰と称された暴力)で数人が死んでしまっている訳で、どんな理由があれどもそれはいけないこと。そういった点でこの事件に対する判決は妥当だと思います。ただ、この事件で本当に考えないといけないのは体罰の正当性だと思うんです。

当HPを読んでいる人に親をやってる人はいないと思いますが、少なくとも「自分は親に殴られたことはない」って人はいないハズです。いるワケがありません。親が子を殴る行為は教育の範囲内という条件下において日常常習的に行われるものですから。最初は口で注意され、それでも聞かない場合に殴られたという経験が誰にでもあるハズなんです。この事件ではその教育(暴力)を行ったのは親ではないのですが、例えば親は学校という教育機関に子を預ける、すなわち教育権を委託しているので、体罰というのは特定の範囲内で正当性を持っているのだと俺は思います。親はその教育機関のやり方に従えない時に口を出せばいいのですが、この事件でその親はその注意義務を怠っていたのではないでしょうか?納得できなければやめればよかっただけの話なんですし。

現在、日本の子供の学力や体力の低下が指摘されていますが、最大の問題はそこではないでしょうか?ようは甘やかしすぎなんです。ちょっと叩いただけでも体罰だって訴えられますからね。無事是名馬とは良く言ったものです。それに教師だって一人の人間で、それで生活しているのですからPTAからの圧力は怖いんです。解雇に繋がりますから。特に今は再就職の難しい時代ですし。

戸塚ヨットスクールの事件はその代表的なものです。この事件は最初に書いた通り人が死んでいて、それは体罰と称された暴力であったものだから今回俺が述べた意見は筋違いなものですが。例えば手術をする場合、回復のための手段なのに痛みを伴います。体罰はそれと同じだと思うんです。あと、これは俺の持論なんですが、「痛みを知らない人間は絶対に成長することはない」と思います。そして今回俺が最も言いたいのは「体罰というものの明確化とその正当性の承認」なんです。この問題を解決せずに教育問題をクリアすることはできないはずです。この事件を機会に一度じっくりと考えてみませんか?あの校長の言っていることも一理あると思います。


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